八面山~羅漢寺・古羅漢~青の洞門・競秀峰~深耶馬渓~玖珠の森城下町~裏耶馬渓・奥耶馬溪~平田集落
平成29年4月28日、中津市・玖珠町にまたがる広大な景勝地・耶馬渓(やばけい)の歴史や文化を語るストーリー「やばけい遊覧~大地に描いた山水絵巻の道をゆく」が、日本遺産に認定されました。多くの文人画人をも魅了した奇岩の渓谷美が織りなす山水絵巻の世界が堪能できます。
■巨石伝説の山~八面山~
目に入るテーブル状の山は、耶馬渓(やばけい)の入口、様々な伝説を持つ巨石が群れをなす霊峰「八面山」です。約1 0 0 0年前から八面山を中心に古代仏教文化が花開き、人々は周辺の岩屋に仏を安置していきました。
■絶壁をつたい仏に会う~羅漢寺・古羅漢~
八面山から望む岩山を目指し参道の細く長い石畳を行くと、「羅漢寺」があります。羅漢寺と、対岸に盛り上がるごつごつとした峰「古羅漢」の探勝道の天然の石橋や岩窟、岩肌に巡らせた鎖をつたい登れば、日本最古の「五百羅漢」をはじめとした二千体もの石仏に出会えます。
■岩窓にさす光、断崖からの眺望~青の洞門・競秀峰~
羅漢寺から下った山国川沿いに、屏風を立て並べたように折り重なる巨大な絶壁「競秀峰」が現れます。ここは福澤諭吉が土地を買い、開発から守った景勝地です。トンネル「青の洞門」は、この岩壁沿いの道から川に落ちて亡くなる人々を救うため、約200年前に禅海(ぜんかい)和尚が30年かけて掘ったもので、岩窓からさす光に照らされた無数のノミ跡から、和尚の熱い想いが伝わってきます。
■岩峰せまる神秘の谷~深耶馬渓~
青の洞門を発ち玖珠へ向けて奥深く分け入ると、岩峰が覆いかぶさるように迫る渓谷に入ります。ここは約120年前、中津出身で玖珠郡長の村上田長氏が中津と玖珠をつなぐ道路を開鑿(かいさく)して姿を現した秘境「深耶馬渓」です。「一目八景(ひとめはっけい)」や、奇峰がそびえる「麗谷(うつくしだに)」、「大谷渓谷」の神秘的な空間は、“天下の勝地”と呼ばれ、新しい観光地になりました。
■テーブルマウンテンに囲まれた町~玖珠の森城下町~
深耶馬渓を抜け視界が突然開けると、櫛歯(くしば)状の断崖「大岩扇山(おおがんせんざん)」が出迎えてくれ、100年前に耶馬渓観光の出入り口として再興した、日本一小さな城下町にたどり着きます。この森城下町には「角牟礼城跡(つのむれじょうあと)」や「旧久留島(くるしま)氏庭園」、「旧豊後森機関庫」などが残り、周りを「伐株(きりがぶ)山」をはじめとしたテーブル状の山並みに包まれた姿は、巨大な箱庭のようです。
■石柱が天を突く河童の隠れ里~裏耶馬渓・奥耶馬渓~
森城下町から西に回遊すると、にょきにょきと伸びる石柱群の裾に集落が寄り添う「裏耶馬渓」に到着します。さらに山国川を遡った先の源流の地「奥耶馬渓」では、石が何万年もの時をかけ川底にあけた甌穴(おうけつ)群の水辺が続きます。奥深い谷や岩窟は落人伝説を生み、平家の落人が河童となり登場する河童祭りが伝えられています。
■馬溪翁の町~平田集落~
こうした耶馬渓の歴史・文化を熟知し、耶馬渓に尽力した平田吉胤(よしたね)は、大正時代、平田集落に駅や郵便局を建て、石橋をかけ、水路を引き、寺社を復興するなど耶馬渓の中心集落として作り上げました。「馬渓翁」と称された吉胤は自宅に三階を増築し、迎賓館として、景観で人々をもてなしました。三方の窓から望む山々は障壁画のようです。