佐賀関の「関」は、海の関門・関所に由来する海上交通の要衝であることを意味しています。
国防のために重要視され、要塞化された2つの半島と決して忘れてはならない戦争の惨劇を辿るルートです。
昭和6年に4年の歳月をかけ構築され豊後水道一帯の守備要塞として重要な役割を果たした軍の要塞跡です。
当時は山頂に巡洋艦「伊吹」に搭載されていた30cm「カノン砲」が二門設置されており、昭和17年1月に実弾による試射が行われた際に、最後の一発が砲口内で暴発し多数の死傷者を出す大惨事となりました。
施設の入口にある「忠魂の碑」は、生存した兵達が遺品を集めてここに埋め建立したもので、石碑の裏側には亡くなられた16名の氏名が刻み込まれており、石碑の前部には当時の実弾が飾られています。
現在では施設内も整備され、砲台へと上がる170段ほどの御影石の階段の横には斜坑リフトもあり、観光地として蘇っています。
「おおいた麦焼酎 二階堂」のCMにも登場しました。